2016年03月05日

【観てきた】アンドロイド演劇「さようなら」/四国学院大学ノトススタジオ

アンドロイド演劇をようやく観ることができた。
数年前の(たぶん)初めての作品で、
お手伝いロボットがラストで「夕日がきれいですね」というセリフを言うのが
すごく衝撃的で、それからずっと生で観たいと思っていたのが
ようやく実現した。

面白かった、、、。
初日から3回とも観ればよかった、、、。

平田さんが以前から言っている
「(役者は)実際にそう思っていなくても、そのように見えればいい」
という演技論を、まさにアンドロイドが体現していた。

アンドロイドに「心」はない。
しかし、舞台上のアンドロイドには「心」があるように見える。
それを観ている観客(人間)は感動する。
なぜなら、人間には「心」があるからだ。

心がなくても、心を動かすことはできる。

と、最初は考えたのだけど、帰りの車のなかで
「果たしてそうかな?」と思い始めた。
人間には本当に「心」があるんだろうか?
あるとしても、それは本当に私たちがイメージしている「心」なんだろうか。

作品のあとのワークショップにて観客から出た質問に
「感情」を「心」と同じと捉えた発言があった。
そうなのかな? 同じなのかな?
「感情」と「心」はまったく別物なのではないか?

私は病気になってからずっと、
ヒトはアタマとカラダとココロのバランスをとりながら生きている、
と考えている。
(言葉がカタカナなのは、意味するものがまだ曖昧だから)

そのとき私がイメージする「ココロ」は、
ただのテンションの浮き沈みだ。
何かの感情ではない。
もっと根源の、バイブレーションのようなもの。

「心」ってなんだろう。

アンドロイドが詩を読むことも衝撃的だった。
単なる会話のための言葉ではなくて、詩。
詩って、感情の表現というよりも心の表現という方が近いように思えるので。
でもアンドロイドには「心」はない。
無いけど「心」を理解できるのか。

などと、心についての思考がぐるぐる脳内を回りながらも、
作品は、ただ純粋に、人間とアンドロイドの心の交流を描いていて
(やっぱり「心」だけど)
それ自体でも、十分楽しめた。泣いた。

ところで、今回はアンドロイドがアンドロイドの役をしたわけだけど、
アンドロイド以外の役ができる日も来るのだろうか?

とか、想像は尽きない。

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posted by 植田良子 at 22:08| 香川 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする